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セラピスト、波多幸子さんが癌の死と向き合うことで得たもの1/1

お話を聞かせていただいた波多幸子さんは、三重県がん相談支援センターのサポーターとして活動されている方です。2007年に最愛の夫:清隆さんが肺がん(小細胞がん)を発病しました。清貴さんのガン闘病中、ご自身がカウンセリングをうけたことがキッカケとなり、30年務めた保育士という仕事を辞め、自身の経験を活かしたカウンセリングをおこなってらっしゃいます。

そんな波多さんご家族のがん闘病は「がんが届けたハッピーライフ」という名の一冊の本になっています。今回、その出版背景とセラピストのお仕事についてお聞きしました。

『がんが届けたハッピーライフ』出版背景をお聞かせください(meripa ※以下m)

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がん、確かに大変なことなんです。
でも、その与えられたことに、どう向き合うか、どう生きていくかが問題ではないのでしょうか?
私は、がんが、私たち家族に幸せを運んでくれたと思っています。

そんな想いを抱いている家族もいることを。そして、がん患者、家族の方に読んでもらうことで、「生きること」を考えていただけたらな~と出版しました。

清貴さんの事を少しお聞かせください(m)

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夫はがんになって、2か月といいながら、1年2か月生きてくれました。

私は、夫が亡くなってから、より一層私らしく生きました。

それは、夫が、「自分が抱えている痛みより、家族が自分の死で、つらい毎日を送ることのほうがつらい」と友人にいったからです。

家族が、笑って生きていることが、夫の望みだったんです。
「生きること」を、自分の死をもって教えてくれたんです。

悲しみます。
泣きます。
辛い時は、その感情をしっかり味わいます。

でも、私は、私らしく生きることを決めました。
夫は私が笑っている姿が好きで結婚したのですから…。

娘さんたちに、何か変化のようなものはありましたか?(m)

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私が幸せにしていると、娘たちも自分を見つめて生きるんです。
父親の死を、すぐそばで感じ、すべて受け入れてきた娘たちは私以上に強いです。

自身の経験を活かして、セラピストとして活動していくことに

波多さんは今、カウンセリングを通じて、かつての自分を救うかのように日々、がん闘病で悩む家族をサポートしています。

カウンセリングを受けることで、自分の辛さに向き合います。

家族はね、辛いんです。悲しいんです。でも本人が一番つらいから家族はその気持ちを隠さないと生活ができない。

そんな気持ちはしっかり感じて、自分はどうしていきたいかを主軸において物事を見ていくと、気持ちがとても楽になるんです。

がんから気づけることが湧き始めるんです。

波多幸子

カウンセリングはお電話・対面形式のSkypeでも受けることができます。波多さんとお話をしてみたい方は下記を参考にしてください


『がん患者・家族に寄り添う心のカウンセラー』
日本誕生数秘学協会認定カウンセラー・波多幸子さん

お問い合わせ・対面形式(Skype)のご相談はこちらまで
090−4195−2171

※波多さんも都合がございますので、すぐに出れない場合があります。その際は折りかえしご連絡いただけます 


波多さんと清隆さん、そして娘さんたちのがん闘病は本になっています!

波多さん家族のがん闘病は「がんが届けたハッピーライフ」という一冊の本になっています。最後に、波多さんご家族のがん闘病を少しご紹介します。

Amazon.co.jp: ガンが届けたHAPPY LIFE ある患者家族の、しあわせの見つけ方: 波多 幸子: 本

とつぜんだった夫の肺がん発症

清隆さんの癌告知は唐突なものでした。それは2007年の元旦を迎えてから数日後のこと。
カラダの痛みを訴え、仕事人間の清隆さんが珍しく会社を休んだのです。

突然の体調不良。清隆さんの腰の痛みが日に日に増していることを心配した波多さんは血液検査をうけることに。そこで、初めて肺がん(小細胞がん)余命(2~3ヶ月)と宣告されてしまいます。
 
抗がん剤治療が始まりました。
清貴さんは一度は肺がんを克服するものの、祈り届かず再発。

悲しみのそこに突き落とされてしまう波多さん夫婦でしたが、そこで将来の道しるべとなるセラピストの鈴木さんと出会うのです。

信頼のおけるカウンセラー:鈴木さんとの出会い

波多さんにとって、セラピストの方との出会いは「生きる」意味を深く見つめるようになる好機でした。

鈴木さんのカウンセリングを受けるうちに、「がん」という病との向き合い方が大きく変り、心も比例して軽くなっていったそうです。

2007年12月26日、がんが脳に転移、二度目の余命宣告を受けてしまう

家族で、がんに、そして死に向き合っていきます。
死に向き合うことで、生きることの本当の意味を知りました。

そして2008年4月18日、ご家族が見守る中、清隆さんは静かに息を引き取りました。

がんが届けたハッピーライフ

葬儀を終えた夜。
波多さんは鈴木さんを介して、清隆さんからの一通の手紙を受け取りました。

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幸子へ愛してる。
いつもどんなときも。

俺はいつも何も言えなかったけど、幸子のそばにいるだけでよかった。
そして、子どもたち。おれは誇りに思っている。
本当に出会えてよかった。感謝している。今までのことすべて。

たしかに、俺たちはケンカすることも多かった。でも、いつも家族が一番だった。家族が俺を救ってくれた。幸子や子どもたちが俺の自慢だった。

こっちでも自慢しているよ。いつも笑っててって、生きているとき幸子が俺に言ったけど、今は俺がそう思う。笑っていてほしい。
幸子の笑顔で救われる人がたくさんいるから。ありがとう。ありがとう。ありがとう。もう体はないけど、でも、ずっといるから

2008年4月20日

波多さんの左薬指には、今でも黄色いダイヤモンドが輝いています。

それは亡き清隆さんの存在をいつまでも身近に感じておきたいと、遺骨で作った世界でたった一つのダイヤモンド。
この世から体はなくなっても愛する人の想いは、必ずメッセージとなりあなたのもとに届けてくれる。これは確固となる波多さんの思いです。

あなたもそう信じて耳を澄まし、感覚を研ぎ澄ませてください。必ず聞えてくる筈です…愛のメッセージがー